Never Give Up(背番号7の凄い奴)
それは復活をかけた男のドラマだった
1989年9月2日、不死鳥『吉村 禎章』がTOKYO DOMEに帰って来た。
ただバッター・ボックスに向かうだけでこれほど大きな歓声に包まれた男が他にいるだろうか?
それは長島でもなければ王・原・松井でもない。実況アナウンサーの声が弾む!
「代打わぁ?代打は、吉村かぁ〜?・・・よ・し・む・ら・です。」夢にまで見た復活の時が近づいて来た。
ベンチから出てきた吉村は、ウェイティング・サークルで軽くバットの素振りを二度三度・・・
スタンドの声援は徐々に地鳴りの如くドームを揺らし始め、いつしかスタンディング・オベーションへと変わっていた。
そこには敵も味方もない、誰もが待ち望んでいた瞬間だ!ボルテージは最高潮に達していた。
思い起こせば1988年7月6日の札幌遠征中に起きた大ケガ(左足靭帯断絶)から、
実に423日ぶりにゆっくりとドームのバッター・ボックスに向かう背番号7の姿がここにある。
決してまだ完治しわけでない、再起不能とまで言われた選手生命を自分の力で跳ね返し、
「もう一度ホームランを打つ!」ただその事だけを信じてリハビリに励んだ不屈の精神が彼を支えていた。
この時ユニフォームの下には艶かしい傷跡と痛々しい補助具を使用、
左足にまだ神経が通っていない事をMassieは知っていた。
祈るような思いで『吉村 禎章』を見つめていた。それはジャイアンツ・ナインも同じだったに違いない。
・・・が結果はあえなく凡退でドームに大きなため息が漏れた。
それでも『吉村 禎章』は一塁ベースまで全力?で駆け抜けたのだ。
その瞬間ため息は割れんばかりの拍手に変わりしばらく鳴り止む事は無かった。
たったひとつの打席に全国の人々が感動を覚えた。人間の可能性と勇気を与えた一幕でもある。
『吉村 禎章』の本当の意味での復活は、翌1990年の事になる。
TVのインタヴューでもMassie個人にも彼は誇らしくこう言い続けた。
「僕はプロ野球選手です。ダメな時は叱って下さい。ゲームに出る以上ケガの事は関係ありません。」
この年の初めから『吉村 禎章』は復活を告げるホームランを放ち、ヘッド・スライディングもやってのけた。
読売巨人軍の歴代の4番に座ったのもこの年の7月30日、阪神 VS 巨人の伝統の一戦だった。
そして復活から約1年後の1990年9月8日、巨人 VS ヤクルトの延長10回ウラにナ・ナント!
サヨナラ・ホームランを放ち、この瞬間に読売巨人軍を優勝に導いた劇的なシーンが忘れられない。
『吉村 禎章』、1982年デビュー。2年目の1983年にレギュラー・ポジションを獲得。
吉村・原・クロマティーのクリーン・アップは観る者を魅了し続けた。
1985年〜87年には打率3割2分台をキープし、常にベスト・テンの上位に顔を出す。
将来の読売巨人軍の不動の4番と呼ばれていたが、靭帯断絶で残念ながら夢と散った。
現役生活の最後まで補助具を外す事は出来なかった。1998年、静かにバットを置く。
Yoshi & Massie
さて、Yoshiこと『吉村 禎章』とMassieの出会いはと申しますと・・・
今から約20数年前にさかのぼり、それは二人がPL学園に在校していた高校時代の話になる。
早々と野球をドロップ・アウトしていたMassieはガラにも無く生徒会の役員などをしておりまして・・・
あの有名な人文字などを応援団と共に指導したりと、結構ガンバッテたような気も・・・?
そんな折、ひとつ年下の野球部のスラッガーYoshiとちょこちょこ会話を交わすようになった。
その内容は毎回お決まりで音楽の話とお約束で女の話の2本立てだったと記憶しています。
確かYoshiはスラッとしたベッピンのOさんがお気に入りで・・・これ以上は書けません。
しかし、実際に我々が交流を深める事になったのはMassieがひと足早く卒業をした年の春のセンバツからです。
新3年生になったYoshiは後に名将と呼ばれる中村監督(当時新任)から主将に抜擢され、
チーム・メイトを引き連れてMassieの住むホーム・タウン(西宮)にやって来た。
(注、当時のPL学園野球部は甲子園での試合後に必ず、教団の西宮教会で休息を取っていた。)
「Yoshiが主将で大丈夫かいなぁ〜?」と思っていたのだが、
あれよあれよという間に決勝戦へとコマを進めて行ったのである。
準決勝の終了後、「なんか差し入れでも持って行ったろうか?」と思いケーキ30個のお買い上げ。
「おーいっ!Yoshi差し入れや!」「明日もがんばりや!」・・・とMassieが言った。
「西川(南海)、若井(南海)、先輩から・・・」「ケーキで景気付けやてぇー、どっ!ひゃ〜あ〜ぁ」・・・とYoshi。
「これメッチャ美味い!明日優勝したらもう一回持って来て下さいよー」・・・とYoshiのおねだり。
あれれ〜、翌日にいとも簡単に優勝を決めてしまった。先輩としては約束を守らなければ・・・
「Yoshi、おめでとう!今日は50個や遠慮せんと食べや。」・・・「先輩、ありがとう!」
てな感じでどこにでもありそな先輩と後輩の物語は始まっていったのである。
法政大学進学?か読売巨人軍入りか?
残念ながらYoshiに夏の甲子園は訪れなかった。
その代わりにMassieと遊ぶために甲子園迄やって来た。神戸のポートピア・ランドにも行ったっけ?
Yoshiがぼちぼち進路について考え初めていた頃でもある。
この頃、PL学園〜法大という図式は、西田(広島)、木戸(阪神)、小早川(広島)で既に確立されていた。
基本は法政大学で・・・と思っていた矢先の出来事である。Yoshiに一本の電話が入った。
「もしもし、巨人軍の王です。」・・・始めYoshiはイタズラ電話だと思い怒ったという。
徐々に本物だと気付いた途端、直立不動の状態のまま受け答えをしたそうだ。
世界の王から口説き落とされたYoshiは、結果的に読売巨人軍への入団を選択した。
こうしてプロ野球選手『吉村 禎章』は誕生したのでる。
読売巨人軍に入団した同期には、槙原、村田などがいる。
また一年先輩の駒田を含め50番トリオとしてデビューを飾る事になる。
いよいよ『吉村 禎章』のプロ野球選手生活が始まった。
Massieが知る限りのエピソードを順を追って公開していく事にしよう。
つづく