世界の韋駄天男、『福本 豊』誕生!!

さらに韋駄天『福本 豊』は走り続けた。
1983年には、当時の世界記録[通算938盗塁]の記録をあっさりと塗り替えた。
また忘れてならないのは、この年に2000本安打も達成して『名球界』入りを果たした。
翌1984年には、前人未踏の[通算1000盗塁]を達成する事になる。
この時、『福本 豊』はセカンド・ベース上で大きなガッツ・ポーズを決めた。
普段あまり派手なアクションを起こさない、職人肌の彼が魅せた数少ないパフォーマンスのひとつだった。
翌朝のスポーツ紙に花束を高く掲げた『福本 豊』の姿が、誇らしげに写っていた事を覚えている。
結果的に韋駄天『福本 豊』にとって世界記録は、あくまでも通過点に過ぎなかったのであろう・・・

これは最近本人の口から聞いた話なのですが、
「実は3盗も簡単?に出来たと思う。」「リードも大きく盗れる上に、けん制も難しい。」
この言葉に間違えはなさそうだ。じゃーなぜ?3塁へあまり走らなかったのだろうか・・・
「走る事が注目されるようになって、[記録の為だけに走る]と思われるのが嫌だった。」・・・とか。
それゆえに『福本 豊』の通算1065盗塁は、我々の想像以上に意味のある数字なのかも知れない。
もうひとつこんなエピソードが・・・それはある試合のセカンド・ベース上での話である。
あんまり何回もけん制してきおるから言うたったんや・・・「3塁には走らへん!」
ところがまたもやけん制や・・・「しつこいなー、今度けん制したらホンマに走るでぇ〜!!」
ありゃ、またけん制かいな・・・「しゃーないな、そんなに走ってほしいんかいな?」
しつこいけん制がなければ2塁に踏み止まっていたハズの『福本 豊』だが・・・「次の投球で走ったった!(笑)」
これは記録の為でもなくチームの為でもない、『福本 豊』が自分の為?に走った珍しい盗塁だった。

盗塁の他にも『福本 豊』の注目すべき記録は残されている。2401試合出場の中で、
生涯打率2割9分1厘・通算2543安打・208本塁打・884打点・1656得点・1277四死球・・・1054三振。
特に1656回もホーム・ベースを踏んだ得点と、2試合にひとつはタダで貰った四死球の数は、
核弾頭として最高の評価を得る事になった。ベストナイン10回など。




本人も驚いた!爆笑?引退劇!!

世界の盗塁王は走るだけでなく、その華麗な守備(ゴールデン・グラヴ賞12回)でも魅せてくれた。
あの小柄な体で208本塁打を放ったシュアなバッティングも、『福本 豊』の魅力のひとつだったに違いない。
1985年には通算107三塁打の日本記録、1988年にも通算449二塁打で日本記録を達成。
最終的(1988年まで)に3塁打も増産して通算115の日本記録となった。
しかし、ここまで順風なプロ野球ライフを送っていた『福本 豊』に[引退]の二文字が・・・
それは突然やって来たのだ。1988年のシーズン終了後の出来事であった。

ファン感謝デーの一幕がそれだ。当時の監督、『上田 利治』の口が思わぬ方向に滑った???
「本年も暖かいご声援をありがとうございます・・・。」「今シーズンを持ちまして、山田、福本は引退しますが・・・」
・・・今なんて?・・・ふくもと?・・・福本?・・・・・・・「オレ、聞いてへんでぇー???」とポツリ。
舞台ウラのプレスは大慌てで大混乱!!あの、『福本 豊』が突然引退!!
一番ビックリしたのは当の本人であろう。・・・「ホンマに知らんで!山田やろ?」
もちろん『福本 豊』は、なんらかの形(代打なども含め)で翌1989年も現役を続けるつもりだった。
なぜこのような突然の引退劇が起こったのか?誰も知る由もなかった。
歴代のブレーブスの選手の中でも1・2を争う功労者のハズなのに・・・どうして?
その答は『上田 利治』のアドリヴにあった。そもそも本来の台詞は、
「山田は引退しますが、福本が残ります・・・来年もブレーブスを・・・」と言うつもりだったらしい。
が時既に遅し・・・緊急記者会見が行われ、『福本 豊』は以外にもあっさりと引退を受け止めた。
そして『上田 利治』も自分の発言ミスを認めた。「ついつい名前を連ねて・・・。」
その夜、『福本 豊』宅に『上田 利治』から電話が入った「ご・め・ん」・・・と一言。
この瞬間、黄金時代を築いた阪急ブレーブスの歴史にピリオドが打たれた。
1970〜80年代の阪急ブレーブスは名将『西本 幸雄』と闘将『上田 利治』が率い、
サブマリン『山田 久志』と韋駄天『福本 豊』ががっちりと投打の軸を固めていた。
『山田 久志』、『福本 豊』、共に1969年に入団。20年後の1988年二人して引退。

翌年から『福本 豊』は、オリックス・ブレーブスの1軍打撃コーチ〜2軍監督と、指導者して若手の育成にあたった。
衝撃的な身売りが発表になったのも、この年の10月19日。近鉄があと一歩で優勝を逃したあの日だった。
その後、阪急ブレーブスはオリックス・ブレーブスとなり、『オリックス・ブルーウェーヴ』と改名され消滅?した。
・・・が今でも、「宮っ子」の心の中で『阪急ブレーブス』は永遠に生き続けている。




ベースボール発祥の地、クーパースタウン

『福本 豊』の勇姿とその偉大なる記録は、海の向こうの野球を愛する人たちが集まる場所にも記憶されていた。
そこはベースボール王国アメリカの『クーパース・タウン』にある野球の殿堂と博物館である。
New Yorkのマンハッタンから北西へバスで約5時間30分、車で約4時間30分?程の所に位置する。
簡単に説明すれば人口がたった2万人の田舎町、なぜこんな所に野球の殿堂があるのだろう?
1839年に初めてベースボールのゲームが、この『クーパース・タウン』で行われたからだという。
ベースボールの100歳のバースデイを記念して、1939年に野球の殿堂が建てられたとか・・・
ここにあるブロンズのレリーフに名前が刻まれる事は、プレイヤーにとって最高の栄誉になる。
殿堂入りが認められるのは、その功績とベースボールの発展に貢献した選りすぐりの一握りのみ。

Massieも何度か『クーパース・タウン』を訪れた事があるのだが、必ず立ち止まるコーナーがある。
ベーブ・ルースでもミッキー・マントルでもルー・ゲーリックの前でもない。
それは世界の盗塁王、『福本 豊』のスパイクが置かれている場所である。
Massieが物心ついたあの頃から、西宮スタジアムの外野席でずぅーっと観ていた背番号[7]のスパイクだ。
感慨深い想いがそのサクセス・ストーリーを甦らせた。もうこの町に『福本 豊』を知らない人はない。
(参考までに同じブレーブスで活躍していた『山森』が、スーパー・キャッチした時のビデオ上映も人気の的に・・・)

余談ですが、近年になってニュージャージー州のホーボーケンで発祥試合が行われたという説もある。
もしこの話が本当なら野球の殿堂は、ホーボーケンに移設する事になるのだろうか?

再び世界の盗塁王、『福本 豊』の名が全米を駆け抜けたのは、
あのリッキ−・ヘンダ―ソンが、『福本 豊』の世界記録に並んだ時だった。
異国の空の下の異なるフィールドではあるが、共に90フィート(27.43M)先のベースを目指して走った。
願わくば二人のダブル・スチールを見てみたかったな〜。そう思ったのはMassieだけでしょうか?

正式名称 [National Baseball Hall of Fame & Museum]
所在地 25 Main St. Cooperstown, NY 13326
URL http://www.baseballhalloffame.org/


つづく


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