クーパース・タウン(背番号7の小さな巨人)



背番号[7]越しにホーム・ベースを見つめていたあの頃

それは今から、約30数年前にさかのぼる。
Massieが住む『西宮市』には、当時プロ野球チームのホーム・グランドがふたつもあった。
ひとつは言うまでもなく、『阪神タイガース(セ・リーグ)』が使用する[甲子園球場]である。
そしてもうひとつが、『阪急ブレーブス(パ・リーグ)』が使用する[西宮球場]であった。
この地域で生活をする人たちは、「宮っ子」と呼ばれている。
その「宮っ子」の中でも本当の子供たちだけに、素晴らしい特権があったのです。
『阪神こどもの会』と『ブレーブス友の会?』という、とってもミラクルなカードでした。
子供心に一番ビックリしたのは、ナント!プロ野球を無料で毎試合観戦出来るという特典だ。
野球少年だったMassieは、日々友達をチェンジしながらもふたつの球場に通い続けた。
日曜日なんかお昼は[西宮球場]、夜は[甲子園球場]・・・ってな具合にダヴルでね。
他の地方の野球少年たちが聞いたら、怒りそうな話やけどホンマやねんな〜。
今でもあんのかな?ミラクルなカード、もういっぺん入会してみたいなぁ・・・
「少年のあの頃のように・・・」

ここで少し『西宮球場』での思い出に触れてみたい・・・。
友達が西宮北口(阪急電車の駅名)の学習塾に出かける日に、Massieも必ず西宮北口まで同行した。
もちろんMassieの行きつく先は、[西宮球場]のちっちゃな外野席、所持品はグローブと帰りの電車賃。
ちょっぴり変形したスタンドの一番センターよりが、Massieの指定席だった。
みんなが勉強に励んでいる頃、Massieはといえば、
「おお〜いっ!ふ・く・も・とーっ!こっちむけやぁ〜。」
グローブを差し出して、「ボールちょーうだい!!」・・・「無視すんなや〜!!」
今思い起こせば、なんともガラの悪い野球少年だったような気がする。
・・・が試合が始まればおとなしく野球に熱中!!しっかりと観戦していたような???
なぜなら、Massieは鮮明に覚えてる。背番号[7]の向こうにホーム・ベースがあった事を!

『福本 豊』 1969年デビュー、通算1065盗塁の世界記録!特徴として走る時の手は必ず「グゥ―」。
Massieが初めて自分の目で背番号[7]を確認したのは1970年、小学校2年生の夏休みである。




世界の盗塁王は、日本一の柿泥棒?

確かあれはMassieが小学校3年生の時だったはず、リトル・リーグの練習に参加するようになった頃だ。
チームメイトのお父さんに引き連れられて、いつもの指定席に・・・
「おい、福本!頑張れよ。」「頼むでェ〜!」・・・Massieの声援に[7]番は照れた?のかグローヴで顔を隠しながらニヤニヤ〜。
お父さんが「あいつちっこいけど足が速いし、結構打ちよる。どえらい選手になんで・・・きっと。」
この予言が翌年の1971年に真実味を帯びてくる。韋駄天『福本 豊』は、年間106盗塁の日本新とMVPを獲得した。
こうなれば他球団も黙っちゃーいない!特に普段から呟き癖のある南海ホークスのキャッチャーがその一人だ。
既にこの時から『野村の考え』はあった。韋駄天男を封じ込めるには連係プレイしかない・・・と。
野村は投手陣を集めてこう言った「まず、塁に出さない事。」、それがダメなら「クイック・モーションを使え!」
当時南海の投手陣は、クイックとけん制の練習にかなりの時間を裂いた言われている。
こうして『野村I.D』と『韋駄天男』のセカンド・ベースをめぐる陣取り合戦が始まったのだ。

では、盗塁の秘訣とはなんぞや?・・・あくまでも一般的にではあるが3つの要素から成り立つという。
スタートのタイミング、脚力(足の速さ)、スライディングの上手さだそうだ。
抜群のタイミングでスタートを切っていた『福本 豊』は、それだけ相手投手の癖を盗んでいた事になる。
足も速かったに違いない。でもプロ野球界にはもっと速い選手もいたように思える。
ちなみに、欲張り?な『福本 豊』のスライディングはほとんど足から・・・スキあらば次の塁を狙うためだ???
改めて検証した結果、やっぱり一番得意としていたのは、相手投手の癖を盗む事だったのか?
中でもよく盗まれたのが、ライオンズの東尾とバッファローズの鈴木だった。
ある日ライオンズの東尾が、「あんまり走られるもんだから・・・もう降参。オレの癖を教えて!」と、
『福本 豊』に白旗を揚げながらも問い詰めたそうだ。ご親切にぜ〜んぶ教えてあげたらしい。
その後東尾は、懸命に修正に取り組み、悪い癖が出なくなったという。
バッファローズの鈴木もしかり、あれほど「投げたらアカン!!」って言ってたのに。
どうやらプロ野球選手の『福本 豊』は、「盗んだモノは返す」正直者だったのでしょうか?
これは最近本人の口から聞いた話ですが、『盗む』と『走る』のトレーニングは幼い頃から始まっていたと・・・
それは『柿泥棒?』です。周りの気配を読み取りながら柿を盗む、後は走り去る・・・
幼い頃の『ゆたかくん』は、「盗んだら食べる、見つかったら走って逃げる!」・・・やんちゃ坊主でしたとさ。

そもそも野球というスポーツは、「いかにしてひとつでも先のベースを奪う事が出来るか?」がゲームのポイントだと思う。
その意味では、誰の助けも借りずに次のベースを盗んでしまう『盗塁』は最大の武器なのかも知れない。
『福本 豊』はさらに飛躍を続け、1976年・日本シリーズMVP、1979年・通算597盗塁で日本新、
1982年・13年連続盗塁王を決めた。いよいよ舞台は世界へ




つづく


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