Get your kicks 第2回 by Akkey

ROUTE66−−−
THE MOTHER ROAD


故・リリアン・レドマンさん
1994.4.28
ニューメキシコ州トゥクムカリにある“ブルー・スワロゥ・モーテル”は、 町全体のモーテルを合わせると2,000室と言われているこの宿場町でも、ひときわ有名である。
街道に面した1号室の外壁に描かれた“HISTRIC ROUTE 66”のサインが美しい。 客室棟の壁がピンクのアドーベ(土壁)風に統一されていて、屋根とドアはニューメキシコのスカイブルー。 ほんわりとした雰囲気に包まれている。現代女の子用語で言うと“カワイイ”のである。
私がここを最初に訪れたのは、1994年の春。今は亡きLillian Redmanが優しい笑顔で迎えてくれた。 夫のフロイドから婚約指輪の代わりに“ブルー・スワロゥ・モーテル”をプレゼントされ、夫が亡くなった後も、 彼女は一人でこのモーテルを切り盛りしてきた話は、ルート66界隈ではあまりにも有名だ。
チェックインのため、カウンターに立ったリリアンの背後の棚には、駄菓子の入ったガラス瓶が並んでいる。 私が宿泊カードを記入している間のこと、悪ガキ兄貴が運転するオンボロ・ダッジから降りて来た小さな弟妹たちが、 その駄菓子をお目当てに走り込んできた。リリアンは丁寧に注文を聞いてやっている。 好きずきに数個ずつ買うと、エンジンを吹かしてじりじり動いているダッジに飛び乗り去って行った。 ただ、それだけのことだが、何故か印象に残っている。
ところで、リリアンはジョン・フォード監督の映画「怒りの葡萄」にも出演した元女優であることを、 ある本によって後に知った。そういえば、表情にどこか洗練された印象を受けたものだった。
話はそれますが、ある本とは、私がバイブルとしている 「ROUTE66 THE ROAD OF AMERICAN LEGEND 伝説のハイウェイ、ルート66を行く。」ではないので念のため。
その、ある本の著者は、キャデラック・ランチ(大農場)のキャデラック10台が地面に突き刺さっている、 あのパフォーマンス・オブジェが不愉快なのだそうだ。そんなに不快なら無視すればよいと思うのだが、 結果として嫌悪に満ちた紹介をしている。いろんな人がいるものだ。いろんな人がいて、それはそれでいいのだ。
もっとも、最近(2001年4月)では、どこにでも無粋な奴はいるもので、先頭のキャデラックの車体にゴムホースを垂らしたり、 大型テレビをひっつけたりと、やりたい放題。いささか不法投棄の形相を帯びてきた。このままエスカレートすれば、 私も、いろんな人の一人になるかもしれない。
話を戻して“ブルー・スワロゥ・モーテル”
リリアンに、今まで日本人が何人くらいやって来たかを尋ねると。 ・・・よく日本人がする愚かな質問のひとつを、ついついやってしまったのだった。が、 「Youで4人目かな」と聞いて、妙な満足感を覚える嫌な自分に納得したものだった。
こちらは片言、むこうは本物の英語でカンヴァセーションをしていると、 リリアンが「I have a Japanese PLAYBOY・・・・」と言い出した。英語能力希薄な上にそそっかしい私は、 当時95歳のリリアンに日本人のボーイフレンドがいると聞き取りびっくり仰天。 しかし、リリアンがおもむろに取り出した「月刊プレイボーイ日本版1992年8月号」を見て、赤面したのでありました。
この月刊プレイボーイ日本版1992年8月号こそ、私の遠い昔のルート66への憧れの記憶を呼び起こしてくれた恩人なのであります。 もちろん、リリアンも載っている。
ちょうど良い機会なので、ひとつ言っておきたい事がある。 世にプレイボーイ誌というと、バニーちゃんの裸のエッチな本ぐらいの認識しかない諸君、いや自称お偉方、 その他批判者の皆さん。この本はそんなものではない。 雑誌とは言え、毎月、毎月が、哲学とも言うべきものの見方、考え方で埋まっているのだ。 裸の写真など別になくて・・・はならないが、余裕で楽しむ飾りページなのだ。



1993年のインディ500マイルの入場券。




ついでなので話すと、私は、この本の別号の特集のおかげで、1993年5月インディ500マイル観戦の機会も得た。 ナイジェル・マンセルがF1からインディカーに転向したあの年である。インディカー・レースとF1とは似て非なるもの。 特に、インディアナポリスのオーバル・トラック(楕円形のレース場)でのレースは弩迫力。 ぐるぐる回っている位の認識しかない飛ばし屋諸君、このレースはそんなものではない。また、言ってしまった。
平均時速で300kmを超えているのがどんなものか。今上映されている映画「ドリヴン」では時速400km(最高)と言っているが、 本当なのだ。それと、もうひとつ凄いのは、40万人を超える観衆のどよめき。 そして、レースが終了すれば、さしたる渋滞もなく車群が帰路へと消えて行く様子である。
マンセルは、レース終盤快調にトップを走っていたが、最後3周当たりでのイエローフラッグからの再スタートの虚を突かれ、 フィツパルディにトップを奪われて、結果はそれでも3位だった。おっと、何の話だったのか。話を戻し、戻そう。


インディ500“レッド・ファイブ”
マンセルの走り
1993.5.30


メインスタンド前を劇走する
日本人初のインディカー・レーサー、ヒロ松下(前)と、
当レース唯一の女性レーサー、
リンセント・ジェームス(後ろ)。
1993.5.30


レース中の事故から、命を救うレスキュー隊。
レースと同様、コンマ0秒を争う隊員の周囲は、
プロフェッショナルのオーラが漂う。
1993.5.30


パドック。
金髪のお嬢さんは居るが、ハイレグ水着などの
チャラチャラした光景は見られない。
1993.5.30

ともあれ、1992年8月号には、MOTHER ROAD 敷設66周年をとらえてのルート66特集レポートが掲載されている。 この時に既に、ルート66前線を走破してのレポートであることに改めて敬意を表します。
だが、紙面の制約もあって、この特集記事だけでは具体的な行き方が分からない。 さすがのPLAYBOYも、まさか同じことをする奴が現れるとは、そのとき予想しなかったのだろうか。
そして1993年、インディ500の余韻覚めやらぬ中で、前述の「ROUTE66 THE ROAD OF AMERICAN LEGEND」に出会い、 以後、ルート66の旅詳細情報を満載したこの本が、私のルート66、旅のバイブルとなったのであります。 主著者は写真家 花村 広氏。私がバイブルの案内に従ってU.S.Route66アソシエーション・ワールドメンバーズに加入したとき、 代表者の代表者のTom Snyder氏からの添え書きには、ミスター・ハナムラから近い内に、 日本でのルート66アソシエーション設立について、なんらかの連絡があるだろうと記されていたのだが・・・ 「おーい花村さぁーん、どうしてますかあーー。おげんきですかあーー」。一度はお会いしたい方である。
話を再び、再び“ブルー・スワロゥ・モーテル”に戻して、
現在の経営者は、Dale & Hilda Bakkeの若夫婦の手に移っている。 前女主人のリリアンとは全くの他人で、そんな由緒あるモーテルとは、最初知らなかったらしい。 別にリリアンに反感を持っているわけでは決してないが、余りに有名で、昔を知っている者は、 よくリリアンの事を尋ねたり話したりするので、その時はあんまり楽しくはないようだ。
今年の4月、当然のようにここを宿にしたときのこと。私は、そのことを知っているので、リリアンの「リ」も言わずに、 表紙に使わせてもらったことへの敬意を込めて、写真集をプレゼントしたのだが、 4頁のブルー・スワロゥ・モーテルの写真を見るや否や“100% REFRIGERATED AIR”のネオンが写っていないと指摘され、 内心ムッとしたものだった。「そんなこと言うたかて、7年前はネオン点いてへんかったんやから、しょうがないやろ」 と言い返したいところだが、『今を見てほしい』そういう気持ちが強いんやろなぁと思い直し、 「それは残念」と返したスマイルは多分引きつっていたかと思う。男はつらいよ寅次郎ルート66の旅である。
しかし、その心意気は、二人のパワーとなって現れている。客室の内部は見違えるようにリフォームされ、 掃除もよく行き届いていて、シャワーの流量も充分。 ガレージ(ここではクラッシュと呼んでいる。3ドル別料金)も建物全体の外観も美しく保たれている。 これなら一泊税込みで33ドル40セントは納得の料金と言える。


新しいオーナー経営者のDale Bakka 氏
ルームクリーニングの手を止めて、
スナップ撮影に応じてくれた。
2001.4.26


受付カウンターのHilda さん

2001.4.26


MOTELのネオンの右側には、確かに
“100% REFRIGERATED AIR”の文字が・・・。
2001.4.25


表紙にあるネオン管の曲線は
夜はこうなる。
2001.4.25


黄昏のブルースワロゥモーテル

2001.4.25


ガレージ(Crush)
3ドル必要だが、ここを使わずに、
部屋の前のスペースに駐車すれば無料。


リフォームされた室内
(奥からドア側を見る)
2001.4.25



(入口側から奥を見る)
2001.4.25

私の気持ちの中で、ブルー・スワロゥ・モーテルをDale & Hildaに引き継ぐために、 もう一度だけリリアンを登場させてください。 リリアン、あなたは、たった一泊しただけのチェックアウトのとき、僕と握手しながら目に涙を浮かべ、 別れを惜しんでくれましたね。そして、それが今生の別れになるなんて、僕は思いもしなかった。 その証拠に、僕はその後3回もブルー・スワロゥ・モーテルを訪れているのですよ。
でも、あのとき、朝露で冷たくなった僕の手を少しでも暖めてやろうとしながらの握手、 その手と同じくらいに暖かなあなたの心、僕は生涯忘れない。
そして、リリアン、天国で安心して。あなたの宿泊客に対する崇高なまでの心構え “人生の旅において、楽しく、素晴らしい出会いに巡り合えるよう貢献したい”という願いは、 知らず知らず自然のうちに新しいブルー・スワロゥ・モーテルに引き継がれていますよ。 新しい経営者カップルに祝福あれ!

最後になりましたが、故フロイド&リリアン・レドマンご夫妻のご冥福をお祈り申し上げます。



<追記>
現に、私はここブルー・スワロゥ・モーテルで、ひとつの楽しく、素晴らしい出会いに巡り合った。 女性フォトグラファーのJEANNIEさんである。一緒に写真を撮りながら、アドバイスを受けたり、 最新の情報交換したりと、ひとときを、例によって片言と本物の英語で楽しく過ごしたのであります。 次に私がルート66を旅するときは、日程を合わせて再会してくれることになりそうだ。
JEANNIEのホームページ http://jbbphotography.com/




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